中うららプロフィール
UPP DESIGN STUDIO代表
Webディレクター・集客デザイナー
中 うらら / Urara Naka(本名)
1998年4月12日生まれ
和歌山県串本町出身、和歌山市在住
和歌山県立新宮高等学校卒
和歌山出身とはいえ、小1〜中1のほとんどは大阪南港で過ごしたので和歌山弁ではなく、大阪弁です笑
職歴
2017年 西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)就職
2022年 西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)退職
2023年 Webデザイナーとして起業
ちょっと自慢できること
・元劇団ひまわり子役(近鉄あやめ池遊園地のCMや茜丸五色どら焼きCMに出演)
・高校2年生のときに小松菜奈と菅田将暉が主演の映画「溺れるナイフ」に出演。広島弁でセリフしゃべってます。
(詳細はSNSや呑みの場で聞いてください^^笑)
なぜ鉄道マンになったのか
よく、「元鉄道マンです」「元車掌です」というと、この金髪のビジュからは想像できないみたいで驚かれますがwそう、私元々JR西日本で車掌をやっていたんですね。これもなりゆきでなったのではなく、幼い頃から憧れていたんです。
「車掌」というと8割型、「電車の運転ができるの??」と聞かれますが車掌は電車の運転はできません。電車の運転は動力操縦者免許を持った運転士が担当し、車掌は電車の一番後ろに乗って放送をしたり、お客様の乗降確認、安全確認を行ってドアの開け閉めや運転士に発車合図を出す係なんです。運転士と車掌がペアになって、決まった時刻(意外と知られてませんが秒単位で決まってます)に発車させることが指名なんで非常に責任感が伴う仕事なんです。
「電車が好きでなったの?」これもよく聞かれるのですが違います。電車自体はまったく興味がありません!笑
14年後、夢を叶えました
小学1年生のときの夏休み。母親に
「あんたら二人で乗っていきなさい」
と妹と天王寺から二人で乗せられた特急くろしお。目的地である串本のおばあちゃん家まで3時間。車掌さんは幼い二人の長旅を気にかけてくれました。母親はケチで指定席なんてものは取ってくれなかったので自由席で。満席で立っていると「あそこの席、あいてるよ。」と声かけてくれたり、乗り物酔いの酷い妹に対して「袋持ってきたよ。気持ち悪くなったらここに吐いてね」と優しく接してくれました。
当時の車掌さんは今みたいに女の人はほとんど見なくて。おじさんばっかりでした。けどなぜか制服をきて、電車の放送をして、お客さんの相手して、電車のドアを開けて閉めて、そういう姿がなんかかっこいいな、と思っていたんです。なんとなーく「車掌」という仕事に対して憧れていたんです。
とにかく幼い頃から好奇心旺盛だった私は「将来の夢」はたくさんありました。
父方の祖母が准看護師だったので「看護師になりたい」という夢もありました。妹と人形劇をよくやっていたので声を変えるのが得意だった私は「声優になりたい」とも思っていました。
絵を書くこと、ストーリーを考えるのも得意でりぼんの漫画家に憧れ、「少女漫画家になりたい」と思っていましたし、一番PCを触っていた時期(小学6年生のとき)はアメーバブログやアメーバピグにハマり、「Amebaに就職したい」と思い、本気で採用サイトまで覗きに行ってました。笑「四大卒が条件かぁ〜!頑張らな〜!」ってなってたのを思い出しますw
高校2年生になり進路を考えるタイミングになりました。そこで毎年自分の高校にJR西日本から求人が来ていることを知りました。
「ここで昔から憧れていたJR西日本への切符をつかまなかったら一生後悔するだろう」
とJRへの就職を決めました。もう一人、校内で別の男の子がJR西日本への就職を希望していたのですが、JRからは「二人共受けてくれてもいいけど、一人しか採用しないよ。」と言われ、負けたくなかった私は猛勉強。進路担当の先生から教えてもらった夏休み中のセミナーは大阪まで3時間かけて通い全て参加し(参加者で女は私一人だけ。ライバルの男の子は一回も参加せず、、!)、校内での就職模試も進路担当の先生から「あなたなら大丈夫」と言われるまで対策をしました。
高校の勉強は大嫌いで勉強もほとんどしなかった私は常に赤点祭り。数学はアホクラスでいつも夏休みは補習組でした。人生で一番努力したのが就職のためのお勉強ですw
そうした努力が実を結び、無事にJR西日本へ就職することができました。
初めてくろしおに乗って14年後、21歳のとき。たくさんあった「将来の夢」のうちの一つである「車掌になりたい」という夢を叶えました。
※今考えたら、幼い子供二人だけで特急列車に乗せる(しかも長時間の旅)ってすごいですよねw
今のご時世、いつ変な人に連れ去られるかわかりませんし。でもその経験がなければ私はJR西日本に就職したいとも思わなかったし、その点から見れば母に感謝しています。
うちの母、やっぱり昔からファンキーすぎるw
なぜ鉄道マンからWEBデザイナーになったのか
一番の理由は「コロナ禍を経験したこと」「体力面での不安」「2021年の出産」というのが大きいのですが、他にも理由がございまして。
私、元々小学生時代の時から根っからのPCオタクでした。その頃は大阪市内に住んでおり母子家庭で母親はいつも帰宅が遅かったので、小1の時から母親のデスクトップPCを勝手に触っていたんです。2005年当時、ヤフーゲームが流行っていたのでログインして勝手に遊んでいました。(IDとパスワードもヤフーを契約したときにもらった書類に書いてあるのを知っていたので、母親がいないときにこっそり見てログインしてましたw)
めっちゃヤンチャだった小1〜小2
これは呑みの場でしか語らないことですが、小1〜小2の頃は結構やんちゃしてたんです。
・万引き
・ピンポンダッシュ
・いたずら
・夜19時以降もゲーセンで戯れる
寂しさを紛らわすために、いろんなことやってました。
前述の通り、母子家庭で毎日母親の帰宅が遅かったんです。(わたしたちは属に言う団地の鍵っ子だった)
派遣社員だった母親は毎日20時帰宅は当たり前。会社の飲み会で23時以降に帰宅することも。
私と妹どっちかが鍵を忘れると母親が帰ってくるまで家に入れないため、お互いを責めて玄関の前で殴り合いの喧嘩したりwたまに、同じ階に住んでいた親友のお母さんが見かねて母親が帰ってくるまで家で過ごさせてくれたりしました。
他にも同じような境遇の悪いお友達(その子も母子家庭で母親の帰宅が遅かった)がいたので、その子らと一緒に悪いことはたくさんやってました。万引きは文房具屋のおっちゃんに閉店間際に見つかって、焦って駆けつけた母はおっちゃんに謝罪。それがトラウマで以降やらず。
「ワイの母ってこんなひと」
母親がまだ帰宅していない23時に突然のインターホン。妹は先に寝ており、シャワーを浴びてすっぽんぽんのときだったので急いで着替えて出る小2の私。
タクシーのおっちゃん「〇〇さん(母の名前)のお宅かな?お母さん、酔っ払ってまだタクシーにいてるんよ。お金もまともに払えない状況だから、なんとかしてってほしい」
急いでおっちゃんと一緒にタクシーへ。タクシーの中で横たわった母の姿。横には吐瀉物のあと。
おっちゃんに「◯◯◯◯◯円ね」と言われ、母の財布から五千円札を取り出し、渡した記憶がありますw
※もうこれだけ見るとうちの母親ヤバすぎますよね笑
転校を繰り返した小3〜。クリエイティブやWEBの世界にハマる
母親の仕事の関係で転校を繰り返した小3以降。(とはいっても全く違う小学校に行くのではなく、同じ小学校を行ったり来たりする珍しいパターン)私自身元々明るくてヤンチャだったはずなのに、何故か次第に心を閉ざすように笑
友達も今みたいに多くなく、心を許せる親友一人だけ居ればいいや、みたいな刺激のない毎日を過ごしていました笑
そんな時にハマったのが少女漫画誌りぼん。りぼんの漫画家になりたくて自分でA4の紙に漫画をひたすら描いてましたw
小5〜中1の途中まで大阪で過ごしたのですが土日は引きこもりみたいな生活を送ってて。
学校は楽しかったのは楽しかったのですが、
やっぱり私はパソコンを触ること、絵や漫画を描くことが好き。笑
前述した通り、当時アメーバブログが流行っていました。HTML、CSSをいじることにはまり、オリジナルのブログを作ったり。PictBear(フォトショの無料版みたいな)でバナーや絵文字を作ったり。PictBearの使い方を教えるオンラインコミュニティを立ち上げたり。アメーバピグにもハマっていたのでどうにか課金するためにケータイでポイ活をして個人情報売ったりw(お小遣いなんてものは基本もらえないので「お金がなければ生み出せばいい」というビジネス思考的な考えは当時からありましたw)動画編集してYouTubeにアップロードしたり、ケータイの着うたを作ってアメーバピグで希望者に配布したり。とにかく学校が休みの日は朝までPCを触るくらいのオタク。笑
もちろん漫画を描くことも好き。母親にせがんで「あの文房具屋」で漫画を描くための道具一式買ってもらって、一生懸命漫画を描いていた記憶があります。
「ワイの行動力、この頃から?!」
小4は和歌山の串本の母の実家(祖母の家)で過ごしたのですが、なんと!家の裏に、当時りぼん本誌で連載していた漫画家さんが住んでいることが判明!「これはサインをもらいに行かなきゃ!」とメモ帳を持って妹とアポ無しで凸。
漫画家さんって基本顔出しNGだから、幻みたいな存在じゃないですか。もうそれはめちゃくちゃかわいくて神みたいな人が出てきて、アポ無しで行ったにも関わらず優しく出迎えてくれました。私が持っていたメモ帳にササっとサインし、当時連載していた主人公のイラストまで描いてくれました笑
(この漫画家さん、のちに12歳年上の夫と高校の同級生であることが判明する)
中1〜高3物販にハマる。絵を描くのは相変わらず好き。
中1の途中から串本に移りました。(ようやく落ち着く)
小1の頃から触っていたPCがとうとう壊れてしまい、処分することに。次に何にハマったのかというと物販です。
当時ショッピーズというフリマサイトがあったのでそこで自分のいらない服を出品することからスタート。(※お小遣いなんてものは基本もらえないので〜以下略)
・商品説明文をどう書いたら売れやすいか研究したり
・お客様に満足してもらうために一人一人購入してもらった方にメッセージを書いたり
するのが、めちゃくちゃハマりまして!
中3になり、今では有名なフリマアプリ「メルカリ」がリリース。当時原宿ファッションがブームだったので、中国の仕入れサイトでブランドの模造品や可愛いものを仕入れて、メルカリで販売していました。めっちゃ儲かるとかはなかったんですが、自分自身のお小遣いやお洋服はフリマサイトで全て調達できていたのでそこは満足していましたw高校時代は友達の代理出品をタダでしてあげたり、とにかく夢中でやっていました。今ではショッピーズ、フリル、ラクマ、メルカリ合計で取引件数は1000件を超え、悪い評価は一つもなく、全て良い評価をいただけています。
一方で絵を描くのは趣味程度には続けていました。ギャグ漫画を描いたり、メルカリで買ったパソコンでイラストを描いたりしていました^^
ポンコツすぎる駅員時代〜リーダーを任せてもらえるまで。
高校卒業後JR西日本へ就職し、駅員として地方の駅に配属された私は入社早々壁にぶち当たりますw
それは、「仕事ができなさすぎること」。
大卒含め同期4人組で同じ駅に配属されたのですが、その4人の中で一番ポンコツと言われるくらい仕事ができませんでしたw
・テンパってお客様に釣り銭を返し忘れる
・見たことない過剰金を出す
・知識が無さすぎて誤った切符を発売
・知識が無さすぎてお客様に誤った案内をする
でお客様はもちろん、フォローしてくれる先輩にも迷惑をかけっぱなし。私の師匠は、同じ高校を卒業した3年?年上の女性の先輩で、自分にも他人にも厳しいめちゃくちゃ怖い先輩だったんですね笑
自分のミスの尻拭いで※泊まり明けで昼まで残るのは当たり前。(先輩も残ってくれた泣)見習い期間も通常より延長w私は泊まりのたびに精神がすり減っていき、
「もう辞めたい、向いてなさすぎる」
と先輩がいない休憩室で一人泣いていた記憶がありますw
※駅員、乗務員などの現場社員は泊まり勤務といって24時間勤務を交代で行っています。
少しずつ仕事にも慣れてきた頃。「駅営業実務認定試験」という社内試験を受けることに。この試験、満点じゃないと合格にならない試験で、師匠である先輩や当時の係長ですらまだ合格していない試験でした。
「この試験、絶対私が合格してやる」
と負けず嫌いが発動し、テキストを何周も勉強。無事に合格することができたのです😭
ようやくここから、周りの先輩方や、係長からも頑張りを認められるようになってきて。
当時その師匠である先輩がイキイキしながら取り組んでいたことが
「CS担当(顧客満足度向上チーム)のリーダー」
としての仕事。駅のポップや案内板を作ったり、お客様が利用しやすい駅づくりをしていく取組を、
リーダーとして率先してやっていたんですね。
私もその先輩の仕事を手伝ったりしていたのですが、これが楽しくて楽しくて^^
ある日その先輩から
「次期リーダーをうららちゃんに任せたいんだけど!」
と相談が!すごい仕事のできる先輩から、私がリーダーになっても大丈夫なのだろうか?と一瞬考えましたが、私自身CSの取組自体は楽しかったので「私でよければ!」とリーダーを引き継ぐことに、、!
その後、CS担当リーダーとして、ポップや案内板の制作以外にも
・後輩に接客の仕方を指導
・後輩が仕事をしやすいようにマニュアル化を進める
・みどりの窓口での営業知識を教える講師
を経験。
私自身、仕事ができない人間の気持ちは痛いほどわかるので、ここはめっちゃ力入れてましたw
他にももちろん、
・どうすればお客様が駅を利用しやすいかな
・どうすればお客様が行動してくれるかな
・どう対応すればお客様の役に立てるかな
と考えて、試行錯誤の毎日。私が作ったポップでお客様に反応してもらえることが嬉しくて嬉しくて!
X(旧Twitter)などSNSで反応をもらえたときもありました^^
憧れていた車掌になれたのに、なぜWebデザイナーに転身したのか?
結論から言うと
・コロナ禍で年収が下がった(外部環境に収入を左右されたくないと思った)
・体力面による不安(泊まり勤務を年を取っても続けられるのか?と思った)
・2021年の長男出産(泊まり勤務で息子に寂しい思いをさせたくなかった)
この3つが大きな理由です。
駅での経験を2年半。車掌試験に合格し、ようやく車掌になれた私は阪和線ときのくに線の一部を担当します。
ちょうどその頃、コロナが日本国内を襲い始めたときだったんですね。緊急事態宣言によりリモートワークも普及し始め、JRも利用者が激減。もちろん私たちのボーナスも減り、年収も減ってしまいました。
車掌の仕事自体はやりがいもあって、楽しかったのですがなんとなく今後の働き方について考えることが多くなりました。
次に、体力面での不安。車掌は24時間勤務。内4時間仮眠はありますが、異常時(人身事故やトラブルなど)があった場合はもちろん睡眠時間は削られます。体力がある人は明けで遊びに行ったりしていますがw私の場合、明けは家に帰るとバタンキュー。もともとロングスリーパーで体力のない私は
「今若いからこの仕事をできているけど、年を取っても続けられるのか?」
という不安が。(50代女性でバリバリ車掌として頑張っているロールモデルも近くにいなかった)
2020年9月に12歳年上の会社の同僚と結婚。12月に妊娠が判明したのですが、流産。当時ちょうど同じ時期に妊娠した同僚がいて、周りに嬉しそうに妊娠報告。自分と比べてめちゃくちゃ落ち込みました、病みました。
しかしわずか2ヶ月後、奇跡が起きます。なんと2度目の妊娠が判明!!
2021年10月、無事に長男を出産し、育休に入るのですがもうこの時点ですでに、
「自分が幼少期寂しい思いを経験しているのに、
泊まり勤務でまた息子にも寂しい思いをさせるのか?復帰は考えられないな、、」
と私の中で退職が頭をよぎるように。
「夢だった車掌にもなれたし、次の人生どうするか?」
と考えていた頃に出会ったのがWEBデザインという仕事。
・パソコンを触るのは昔から得意(プログラミング知識もある程度理解している)
・絵を描くことやデザインを考えるのが昔から得意
だった私はこれだ!!!!となりまして。WEBデザイナーになるためにどうすればいいか、赤子を抱えながら必死で情報収集。
ある日インスタグラムでフォローしていた女性のWEBデザイナーの方が、「WEBデザイナーになるためのコンサルを始めます!コンサル生モニター募集中!」と投稿。その方も未経験からWEBデザイナーになられた方で、「この人から学びたい!!」と思った私はDMで連絡。
そんなこんなで私はWEBデザイナーとしての道を切り開き始めました。
営業が強い先生だったので、私自身そこまで集客に悩むことがなく。育休中にマネタイズができるようになった私はJRを退職することを決断し2022年12月末に退職します。
お客様の「ある一言」で救われた!集客専門デザイナーとして活動するきっかけ。
デザイナーとして安定し始めてきた頃、ある日あるお客様から連絡が!
「うららさん、もうお店閉めることにしたんです」
脳内にずどーんと衝撃が。かなり落ち込みました。
ただデザインを作るだけではお力になれないことを実感した瞬間でした。
しかし、HPを作らせていただいたあるお客様からの一言で救われたのです。
「うららさんに作ってもらったHPでお問い合わせが増えました!!」
その瞬間目の前がぱっと明るくなりました!
私には
・美大やデザイン学校でデザインを学んだ経験がない
という弱みがありますが小学生からパソコンを触っていた経験や、プログラミングの経験により、
WEBの特性を理解しているという強みがあります。
さらに駅員として接客対応も行ってきました。クレーム対応もたくさん経験しました。
常にお客様目線に立ち業務を改善してきた経験もあります。
そこで、
綺麗なデザインをただ作るのではなく、
集客に役立つデザイン、を作ろう!!!と決意しました。
今考えれば、幼少期からの経験や今までやってきたこともに役立つことばかりです。
・いい意味でも悪い意味でも放任主義だった家庭→ とりあえずなんでもやるという行動力
・漫画を描くこと→ ストーリーを考えるのが得意、視線誘導を考えたデザインを提案できる
・オンラインコミュニティ立ち上げ→ 人を巻き込むことや集めることが得意
・ポイ活→ ビジネスとして収益化させることが得意
・物販→ 購入に結びつけるためのライティングが得意
・子役や映画に出た経験、ビジコン出場経験→ 人前に立つこと、人前で喋るのが得意
・駅員時代のさまざまな経験→ お客様目線に立つこと、人に教えること、提案が得意
・自身のSNS集客の経験→ 購入に結びつけるためのライティングが得意
・最近では交流会主催→ 人を集めることが得意、人が考えつかないコンセプトや企画が思い付きます
今後は制作パートナーを増やして、私自身は「集客コンサルタント」としての活動に集中できるように体制を整えていく所存です^^(あ、デザインを作るのは好きなのでデザイナーとしての活動は引退しませんよ^^)
最近のお仕事!!
最近のお仕事は、制作事業はもちろんですが、SNS集客を私のお客様にレクチャーしたりお客様の経営相談に乗ったり、いわゆるコンサルっぽいお仕事もしています。
「こういう商品(商材)作りたいんだけどどういうふうに作ればいいかな?」
「こういう事業してるんだけど、固定費を抑えるにはどの決済システムを使えば良い?」
こういった悩み相談にも乗っているので、もはや「よろず悩みごと相談所」。
なんでも任せてください!w
交流会などオフラインの場にも積極的に顔を出してきました。
その関係でいいご縁をいただくことも多く、ありがたい限りです。
人繋ぎも得意ですので困った時は、
「こういう人いる?!」と相談していただければすぐにお繋ぎします。(紹介料は取ってません^^)
長々と自分語り失礼しました。こんな私と仕事をしたい!と思ってくださった方はぜひお問い合わせフォームから
メッセージください^^
今後ともよろしくお願いいたします!